1985年8月12日
凄くいろんな事を覚えてる日。
あの日は
たぶん月曜日。
休みの次の日は
アルバイトでも
体調が悪くても行かないといけないと
感じてた時代。
岡山で
一人暮らしを始めた年
学生アパートという名で
安くて
住み始めた場所は
時代が変わって、
現実は
お爺ちゃんが住むアパート
学生は二人。
半年後
そこに住み先輩を誘って
新築予定のコーポに引越し。
学生アパートという名の住処は
安さが超魅力でしたが
はじめてやったアルバイトも
銭湯の閉店に間に合わないから
なくなく辞退。
気に入っていただいて
ほんと残るように、店の2階に住んで
オーナーの家のお風呂を
使っていいからと、引き留めていただきましたが
そこまで甘えちゃいけない、と辞退。
夏休み期間
地元に戻って
せめてお風呂が共有の場所に移ろうと
引越し用のお金を貯める為に
近くのトイレットペーパー工場で
夜勤と通常の
2交代のバイト。
若さで
原付で
岡山、姫路が平気だった時代。
そんな日のお盆前
今晩
家では好物の石ガニを大量に湯掻いててくれて
超大量に食べた日。
13日にバイトに出掛けたら
お腹が大変すぎて、ほんと大変で!
直ぐに帰らせていただいた
翌日の明日13日。
自宅で唸りながら
観ていたテレビは
12日にあった日航機事故のニュース。
そんな記憶もあって
テレビニュースに釘付けになり
忘れられない日。
個人的には
素直になれなくて
強がって
もっといろんな事が
あった青春時代の日。
ワイドショー
テレビニュース
新聞が
ネタ元の時代。
そんなことも重なって
忘れられない日。
合掌。
2022年08月12日
1985年8月12日、19歳の夏の日。
posted by 嶋津 眞治 at 21:14| 日記