とある先輩グラフィックデザイナーさんと移動中
ラジオでは子供の頃の夢話
とあるヒヨコ頭先輩は
突然
生まれ変わったら
絶対に料理人になりたいと。
・・・
つられて
私は
小学生の頃
今だったらJリーガーって書きたかったけど
サッカーの仕事に携わりたいと書きましたと。
海外にいかないとプロがなかったから。
そんでもって
小さい頃
憧れたのが魚屋さん
毎日、
ご夫婦で軽自動車で家の横につけて魚屋をさばいたり
されてるのを
イリコを使って真似てた記憶
仕出し料理を配達いただいたりして
凄く
美味しかった記憶
江戸前のお鮨屋さん
東京の親戚がそうなので。
高校進学の頃には
海外航路の船乗りも
小学生の頃
友人のお父さんがそれで
お土産だった
アフリカやら世界のポストカードやら
宝石の原石を
お裾分けしていただいてたので
憧れたな。
ヒヨコ頭先輩には
全部、海つながりやから
もう
阿武町に移住したらと
進められましたとさ。
高校時代
何故か刀鍛冶さんの新聞記事をスクラップしたり
地元に住んで根付いて仕事が出来る職人仕事
大工の棟梁さんや地元の豆腐屋さんに憧れたりしましたね。
バブル時代前期当時
とある豊さんの卒業を聴いてる同級生には
北海道のムツゴロウさんに憧れてた人達も
たくさんいましたね。
ラジオの話題からの
広がった話です。
時代かな。
そんなこんなで
だから
ラジオは
面白い。
そうそう
とある先輩は
子供の頃から通う散髪屋さんで
いつも財布に札束が入ってる人に憧れて
高校卒業後7、8年
京都の骨董屋さんに住み込んで修業して
独立された先輩もいてはりますね。
きっかけは
身近にありますよね。
繋げるには
憧れと
気持ちが大事であって欲しいな。
2020年11月17日
子供の頃に憧れた職業
posted by 嶋津 眞治 at 21:35| 日記